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おだかつひさの自己紹介

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おだかつひさ自己紹介テキスト

おだかつひさ自己紹介要旨(動画20110120-1)

出身・家族構成等
1961年(昭和36年)8月、川崎市幸区生まれ。中央大学法学部(政治学科)卒。49歳です。家族は、家内と子どもが2人(高校2年生と小学校6年生、ふたりとも男で四人家族です。

政治への関心は貧困の問題や国際政治、そしてオイルショックがきっかけ
私は高校時代から政治に興味と関心があり、色々と本を読む中で、当時の第三世界の貧困の問題や国際政治に関することに興味を持ちました。
もうひとつ、私が小学校6年生のときにオイルショックがありました。1972年当時、日本の高度成長期で、中東からの石油が止まってしまう、大変な問題がありました。そのときの母は、「トイレットペーパーがない」、「石鹸がない」と、異常な経済状況を経験しました。母と一緒にスーパーマーケットに並び、商品を買いだめしたというような経験があって、子ども心に政治の役割を意識したことを鮮明に覚えています。
あとは、基本的に困っている人がいると、なんとか助けてあげたいとか、そんな生意気な気持ちもずっとあって、困っている人があれば、何らかのお力添えをして差し上げたいという気持ちがずっとありました。
これらの原体験から、自然と、政治家を志すという気持ちになったのだろうと思います。

政治家になったきっかけ
いわゆる政治家となる、最初の直接のきっかけは、私の大学時代の恩師(故人)が、社会党の美濃部さんという東京都知事のブレーンをしていた関係で、国会議員やシンクタンクなどの繋がりがありまました。その関係で、旧社会党で千葉県選出の衆議院議員が恩師の関係から、「現役の学生で政治に興味があっておもしろい人間はいないか」と相談し、そんなことで私に声がかかり、秘書・書生見習いみたいな感じで政治の世界に飛び込みました。それが私の大学の3年生のときですので、かれこれ25年くらい前の話です。

地方自治への思い
この川崎は、私の生まれた土地ということもあり、非常に愛着もあります。この川崎でなんらかの政治の仕事をしたいと思っていました。今は引退した永井英慈という衆議院議員の秘書をやりながら、高津から神奈川県議会議員に挑戦したのですが、準備が整わず惜敗いたしました。その後、市政の勉強をして、むしろ仕事するというのであれば、川崎は政令指定都市ですから、市議会の方がおもしろいということに気がつき、今から8年前、初めて川崎市議会議員に挑戦し、当選することができました。こんな経緯で、宮前区からみなさまに当選させて頂き、いま議席をお預かりしております。

市民が主役の街づくりを
私の行動の原理原則は、基本的には、「困っている方があれば何らかのお手伝いをしたい」ということと、「基本的に市民が主役の街づくりを手伝う」ということです。つまり、納税者が主役の街づくりを手伝う上で、市民の声をしっかりと行政に繋ぐということになります。
もちろん、市民の要望を行政に繋ぐだけでは、意味がありません。そこにやはり「政策」というものが必要になるわけですから、市民のみなさんの声を政策立案するという作業を経て、議会の中でお手伝いしたいと考えて、この間ずっと活動しております。

変わることのない原則
私のキャッチフレーズは、「歩いて、聞いて、調べて、市民(みなさん)とともに行動します」、そしてもう一つは「いまこそ宮前市民力」の二つです。
これは、限りなく市民のとの協働が政治であって、市民のみなさんの声をしっかりと行政政策に反映をさせていく、市民が主役の街づくりを作っていくという思いをこめたものです。この原則はもう変わることはありません。
宮前市民のみなさんとともに、私はこれからもしっかりと政治活動を続けていきたいと思っております。